furukatsuの軍事 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-10-20

[][]徴兵制職業徴兵制と職業軍 - furukatsuの軍事 を含むブックマーク はてなブックマーク - 徴兵制と職業軍 - furukatsuの軍事 徴兵制と職業軍 - furukatsuの軍事 のブックマークコメント

承前

JSF氏との以下の一連の議論について。

「笠井潔『国家民営化論』一億総ゲリラ戦理論の大穴」-週刊オブイェクト

軍隊の余裕と、軍隊の文民統制-furukatsuの軍事

軍隊の在るべき姿と現実の選択-週刊オブイェクト

ゲリラ戦と徴兵制の軍事的、政治的解釈

200年前の軍隊、志願制と徴兵制

我が主力を決勝点に投入せよ

以下でJSF氏が触れた議論をまず参照されたい。

そして分散したゲリラ的な統帥法とは何か。正規戦は分散と集合を繰り返し、決戦時にどれだけ兵力を集中できるかで勝負が決まります。これに対しゲリラ戦は決戦そのものを回避します。そうなると基本的に分散襲撃となるわけですが、敵勢力の弱い部分に攻撃を仕掛ける際に、局所的な戦術的優位を確保してから仕掛けるのは勿論なのですが、本格的に戦力を集中する事は行いません。ゲリラ側が不用意に戦力を集中すれば正規軍がこれに決戦を挑むチャンスが生まれ、一撃で壊滅してしまう恐れがある為です。(故にゲバラゲリラ戦だけでは最終的勝利は得られない、と説く)

http://obiekt.seesaa.net/article/61447263.html

問題の一つの核心がここにある。つまり、軍隊の行動の基礎というのは、その場その時で敵よりも優越した戦闘力を投入することにある。アントワーヌ・アンリジョミニはこのことについて端的に「我が主力を決勝点に投入せよ」という言葉で示しているが、おおよそ軍隊の行動が戦いにおいて勝つことを目的とする限り、その基本的な指向は敵よりも戦闘力を優越させることを目標とするだろう。

あえてそれを決戦と称するかという問題は横に置くとしても、軍隊の行動においてはそれぞれの局面においてその軽重を判断しながら、それぞれに投入する戦闘力を配分することが重要になることは言うまでもない。

この局面の軽重の判断は一義的には指揮官の戦局眼、いわゆるク・ドゥイユの問題という風に理解できる部分があるのでそこを考慮の外に置けば、この戦闘力の投入の問題は効率的に戦闘力を投入する技術を用いる問題と解釈されるであろう。つまり、問題はいかに効率的に戦闘力を集中させるかというのが重要な問題になるのである。

簡単に西洋運用歴史を見てみよう。ナポレオンは決戦に際して可能最大限の兵力を投入した。しかし、それは一団となった兵団を最大限に大きくすることによって達成したわけである。時代はやや下って大モルトケの時代になると、鉄道と電信の発達が遠隔地の部隊の統制と高速移動を可能としたために、わざわざ一団となる必要性が下がり決勝点に直接複数の兵団を同時に投入するということを可能とした。いわゆる分進合撃である。セダンの戦いの画期は大規模兵団を戦場にそのまま出現させたことにあったのである。

では、電信どころか高速大容量の計算機と無線有線通信網を手に入れ、トラック鉄道、船舶、航空機と様々な輸送機関を有機的に接続することを可能とした我々に何が出来るのであろうか? 恐らく我々はある場所にバラバラになった部隊を集結させることが容易に出来るであろう。

この構造をどこかで見たことが無いだろうか? そう、今回の議論で散々出てきたゲリラ戦である。ゲリラ戦の統制法は先程引用したJSF氏の説明の通り、分散した小規模な部隊の集結とそれにより相対的戦闘力において優越をした上での襲撃である。そう、これは必ずしもゲリラ戦に「のみ」適合的なのではない。ゲリラ戦において前世紀の中盤に勃興した概念であるが、これは折りからの情報化によって正規軍にも可能になったものなのである。

つまり、私は民兵による戦争を推奨しているのではなくて、ゲリラ戦の指揮統制法そのものが有効ではないか? また、その意味ではJSF氏の議論はやや一面的に過ぎるのではないか? という意味戦術的な問題を指摘してきたのである。第3世代戦車を有し、155mmりゅう弾砲を有するゲリラ戦力が存在していても、それは何ら問題ではない。

その意味では、効率的な戦闘力の投入という意味で、正規軍的手法のみを正解とすることは出来ないだろう。ゲバラ正規軍のみでしか勝利出来ないという言葉意味はそれが従来型の正規軍でなければならないという事を意味しているわけではない。従来型の正規軍並みの火力や機動力、そして数を有していなければ踏みつぶされるであろうというごく当然なことを示しているに過ぎないのだ。

なお、この議論については以下のスレッドを参考にされたい。

http://yasai.2ch.net/army/kako/999/999179001.html

http://yasai.2ch.net/army/kako/1013/10133/1013365064.html

今と未来

総力戦の可能性は常に考慮しなければならないと私は考える。

確かに、総力戦核戦争に繋がる場合が十分に考えられ、ゆえに国家間の総力戦は困難であるという認識は私も理解するし、また当面の間その状況が続くことは想像に難くない。しかしながら、折りからのMDの発展や冷戦以降の混乱した状況を鑑みれば、これが将来に渡って可能性が無いと考えるのは性急に過ぎるのではないだろうか。

数ヶ月で一地方を完全に機能停止に追い込む戦争が全面的か否かの問題は横に置くとしても、それが大規模な戦争であることは間違い無いだろう。確かに、YS37ではうまく追い落としたが、あくまであれは訓練のための演習であることは考慮しなければならない。そしてこれは演習でネタにする程度にはリアリティのある話でもある。

作戦環境について考えれば、確かに例えばTKXへの更新や中SAMの取得、WAPCによる悲願の機械化によって戦闘力は増すもののそれは決定的ではないと考える。装備の更新は敵も行っているのであって、それは根本的な問題ではないだろう。問題は、近年の旅団化や空中機動化、部隊のコア化といったような全体的な薄弱化であると私は考えている。もちろん、予算厳しい折りであって従来型の防衛力を整備するというのはやや難しいかもしれないが、それでも薄弱な部隊は容易に粉砕される危険性を孕む以上、私はこれを間違っていると考える。

その意味では、現状の自衛隊の方向性に私はやや危機感を憶える。もちろん、それは徴兵制やマス・アーミーに直結するとは私も考えないが、行きすぎたプロフェッショナル・アーミーの思想が寡兵であっても勝てるとか、特殊部隊こそ重要だというような誤った認識を導きかねないという危機感や、実際過去に何度も2chの軍事板に現れた戦車不用論者のようなのが増えないかと私は戦々恐々するわけである。

あと、徴兵制任期は1年でなければならないということはないと考える。2年の徴兵、4年の予備役、8年の後備役といったようなことは軍事的には十分に考えられるだろう。もちろん、政治的、社会的、経済的には不可能だろうが。

軍隊の虚構

さて、確かに理念としての徴兵制は、そんなものは意味がないと切って捨てられてしまえば意味は無い。しかし、それはやはり私は重要な問題であると考える。それは、軍隊が虚構によって成立しているシステムだからである。

さて、軍隊で兵士は指揮官の命に服し、時に自らの命を失う危険に身をさらす。また心理的なハードルの高い殺人をもやってのける。しかし、その指揮官は年齢が高く、持っている武器小銃ではなく拳銃と、一般の兵士よりも物理的に弱い場合が多い。にも拘らず、兵士は指揮官に従う。

なぜ従うか。それはそこにフィクションがあるからである。軍隊というのは国内最大の暴力組織であり、その気になれば政府首脳を皆殺しにすることも容易である。しかし、自衛隊片山さつき暗殺もしなかったし、大蔵省を占拠もしなかった。

私は、ここに文民統制とそれを担保する市民の力の集合体としての国家とそれの暴力執行機関である軍という一つの壮大な虚構を見る。そもそも、社会契約自体が存在しないものであって、空想の存在である。しかし、それが観念であるがゆえに軍を縛っているということを忘れてはならなし、その意味ではこの議論は重要であると考えるのである。

おわりに

確かに、ここ数十年に渡っては徴兵制の必要は無いだろう。しかし我々が生きているうちにそうではなくなる可能性は十分に考慮に値すると私は考える。ナポレオンに始まったマス・アーミーのムーブメントは150年余りに渡って続いたが、歴史の展開が時代が下るにつれ加速することを勘案すれば、我々の生きているうちにプロフェッショナル・アーミーのムーブメントが終結することも考えられるだろう。もちろん、これに根拠は無いが100年後も今と同様なプロフェッショナル・アーミーが存続していると考えるのも同じように根拠が無い。

その意味では将来的な想定の一つとして徴兵制を含めて、プロフェッショナル・アーミーの終焉を考えておくことは必要であろうし、むしろ我々自身の手で従来の軍隊のやり方を変えるぐらいの気概が必要だろう。

追伸

JSFさんの※欄の人もぜひうちの※欄に書き込んでください。答えられる限りで質問や反論には答えます。

あと、JSFさんのほうにブクマはついてうちにつかないのは悲しいのでブクマしてくれると嬉しい*1

*1ブクマ乞食メソッド

privateshineprivateshine2007/10/21 12:49>第3世代戦車を有し、155mmりゅう弾砲を有するゲリラ戦力
あってもいいとは思いますが、衝力と火力は基本的に集中してこそ効果があると思うのですが。ゲリラ戦力で運用するなら、むしろ地上砲台をあちこちに建設するほうが意味がありそうです。無論、事前に爆撃されるでしょうが。
とりあえず、ゲリラに衝力や火力は期待できず、結局は戦車や砲は持つべきではない。

蜃気楼蜃気楼2007/10/21 16:40>そしてこれは演習でネタにする程度にはリアリティのある話でもある。

 相手が全面戦争を覚悟したのならそんなこともありえるでしょうが。
 ”たった5個MD”を着上陸させる”中規模戦争”ではありえないと考えます。

 ”5個MD”の着上陸はどのような状況で可能となるとお考えですか?

整備兵整備兵2007/10/21 23:43>マス・アーミー
 これはむしろ、フラーの少数精鋭論に対抗したトハチェフスキーの赤軍整備論に似ていますね。ただし、彼はソビエト社会に及ぼす経済的・社会的負担について、あまり考察していたようには思えません。ひょっとしたら、粛清された理由の一つなのかもしれませんが。

 実際、2年や3年の徴兵で、短期間で複雑な分散・集中を繰り返す「分散合撃のゲリラ式統帥法」に馴染んだ兵士が育つとはとても考えられません。もしそんな軍隊を「マス・アーミー」に拡大するとしたら、ハイテク装備を中心として常軌を逸した軍拡を行わなければならず、長期間の徴兵が社会・経済に及ぼす影響と相まって、その負担は甚大なものが考えられます。「ゲリラ式統帥法」を実施できる軍隊は、「プロフェッショナル・アーミー」の極みといえます。

>戦車と火砲をもつゲリラ戦力

つ「兵站」

>予期できない将来における「マス・アーミー」

 まあ、予期できない将来である以上想像しても仕方ないのですが、そこで軍事に関わることを求められるであろう「徴兵?された市民たち」は、敵国の政治的・経済的中枢に対して、物理的な軍事力以外による攻撃をしかけ、政治目的の達成を追及するか、逆に我が政治的・経済的中枢の防護を求められるのではないでしょうか。むしろ、徴兵?された市民たち自身の専門的能力を活かす方向で。

furukatsufurukatsu2008/02/19 20:18>>privateshineさん
いや、むしろ考え方としては敵から致命的な攻撃を避けるために分散をせざるをえないのだから、そこで一定の衝力を持つ戦闘力を臨時に編組していくという方策の方が妥当ではないでしょうか?

>>蜃気楼さん
例えば、台湾騒乱での第二戦線として中国軍が、戦力をシフトしたロシア軍が、また統一朝鮮が経済的困窮をそらすためであったりとか、想像しうる範囲だと思いますよ。

>>整備兵さん
今の日雇い派遣の連中が出来ることが出来ないとは思えません。第二次大戦において自動車操縦が誰でも出来る国と特殊技能であった国がありましたが、そのことを想起すれば十分に達成しうるであろうと考えます。
兵站の問題も同様にドア・トゥ・ドアの輸送システムというのはすでに存在しており、それを行うことは不可能ではないでしょう。
あと、物理的な軍事力以外というのはどういう意味でしょう?