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2007-10-20

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承前

JSF氏との以下の一連の議論について。

「笠井潔『国家民営化論』一億総ゲリラ戦理論の大穴」-週刊オブイェクト

軍隊の余裕と、軍隊の文民統制-furukatsuの軍事

軍隊の在るべき姿と現実の選択-週刊オブイェクト

ゲリラ戦と徴兵制の軍事的、政治的解釈

200年前の軍隊、志願制と徴兵制

我が主力を決勝点に投入せよ

以下でJSF氏が触れた議論をまず参照されたい。

そして分散したゲリラ的な統帥法とは何か。正規戦は分散と集合を繰り返し、決戦時にどれだけ兵力を集中できるかで勝負が決まります。これに対しゲリラ戦は決戦そのものを回避します。そうなると基本的に分散襲撃となるわけですが、敵勢力の弱い部分に攻撃を仕掛ける際に、局所的な戦術的優位を確保してから仕掛けるのは勿論なのですが、本格的に戦力を集中する事は行いません。ゲリラ側が不用意に戦力を集中すれば正規軍がこれに決戦を挑むチャンスが生まれ、一撃で壊滅してしまう恐れがある為です。(故にゲバラゲリラ戦だけでは最終的勝利は得られない、と説く)

http://obiekt.seesaa.net/article/61447263.html

問題の一つの核心がここにある。つまり、軍隊の行動の基礎というのは、その場その時で敵よりも優越した戦闘力を投入することにある。アントワーヌ・アンリジョミニはこのことについて端的に「我が主力を決勝点に投入せよ」という言葉で示しているが、おおよそ軍隊の行動が戦いにおいて勝つことを目的とする限り、その基本的な指向は敵よりも戦闘力を優越させることを目標とするだろう。

あえてそれを決戦と称するかという問題は横に置くとしても、軍隊の行動においてはそれぞれの局面においてその軽重を判断しながら、それぞれに投入する戦闘力を配分することが重要になることは言うまでもない。

この局面の軽重の判断は一義的には指揮官の戦局眼、いわゆるク・ドゥイユの問題という風に理解できる部分があるのでそこを考慮の外に置けば、この戦闘力の投入の問題は効率的に戦闘力を投入する技術を用いる問題と解釈されるであろう。つまり、問題はいかに効率的に戦闘力を集中させるかというのが重要な問題になるのである。

簡単に西洋運用歴史を見てみよう。ナポレオンは決戦に際して可能最大限の兵力を投入した。しかし、それは一団となった兵団を最大限に大きくすることによって達成したわけである。時代はやや下って大モルトケの時代になると、鉄道と電信の発達が遠隔地の部隊の統制と高速移動を可能としたために、わざわざ一団となる必要性が下がり決勝点に直接複数の兵団を同時に投入するということを可能とした。いわゆる分進合撃である。セダンの戦いの画期は大規模兵団を戦場にそのまま出現させたことにあったのである。

では、電信どころか高速大容量の計算機と無線有線通信網を手に入れ、トラック鉄道、船舶、航空機と様々な輸送機関を有機的に接続することを可能とした我々に何が出来るのであろうか? 恐らく我々はある場所にバラバラになった部隊を集結させることが容易に出来るであろう。

この構造をどこかで見たことが無いだろうか? そう、今回の議論で散々出てきたゲリラ戦である。ゲリラ戦の統制法は先程引用したJSF氏の説明の通り、分散した小規模な部隊の集結とそれにより相対的戦闘力において優越をした上での襲撃である。そう、これは必ずしもゲリラ戦に「のみ」適合的なのではない。ゲリラ戦において前世紀の中盤に勃興した概念であるが、これは折りからの情報化によって正規軍にも可能になったものなのである。

つまり、私は民兵による戦争を推奨しているのではなくて、ゲリラ戦の指揮統制法そのものが有効ではないか? また、その意味ではJSF氏の議論はやや一面的に過ぎるのではないか? という意味戦術的な問題を指摘してきたのである。第3世代戦車を有し、155mmりゅう弾砲を有するゲリラ戦力が存在していても、それは何ら問題ではない。

その意味では、効率的な戦闘力の投入という意味で、正規軍的手法のみを正解とすることは出来ないだろう。ゲバラ正規軍のみでしか勝利出来ないという言葉意味はそれが従来型の正規軍でなければならないという事を意味しているわけではない。従来型の正規軍並みの火力や機動力、そして数を有していなければ踏みつぶされるであろうというごく当然なことを示しているに過ぎないのだ。

なお、この議論については以下のスレッドを参考にされたい。

http://yasai.2ch.net/army/kako/999/999179001.html

http://yasai.2ch.net/army/kako/1013/10133/1013365064.html

今と未来

総力戦の可能性は常に考慮しなければならないと私は考える。

確かに、総力戦核戦争に繋がる場合が十分に考えられ、ゆえに国家間の総力戦は困難であるという認識は私も理解するし、また当面の間その状況が続くことは想像に難くない。しかしながら、折りからのMDの発展や冷戦以降の混乱した状況を鑑みれば、これが将来に渡って可能性が無いと考えるのは性急に過ぎるのではないだろうか。

数ヶ月で一地方を完全に機能停止に追い込む戦争が全面的か否かの問題は横に置くとしても、それが大規模な戦争であることは間違い無いだろう。確かに、YS37ではうまく追い落としたが、あくまであれは訓練のための演習であることは考慮しなければならない。そしてこれは演習でネタにする程度にはリアリティのある話でもある。

作戦環境について考えれば、確かに例えばTKXへの更新や中SAMの取得、WAPCによる悲願の機械化によって戦闘力は増すもののそれは決定的ではないと考える。装備の更新は敵も行っているのであって、それは根本的な問題ではないだろう。問題は、近年の旅団化や空中機動化、部隊のコア化といったような全体的な薄弱化であると私は考えている。もちろん、予算厳しい折りであって従来型の防衛力を整備するというのはやや難しいかもしれないが、それでも薄弱な部隊は容易に粉砕される危険性を孕む以上、私はこれを間違っていると考える。

その意味では、現状の自衛隊の方向性に私はやや危機感を憶える。もちろん、それは徴兵制やマス・アーミーに直結するとは私も考えないが、行きすぎたプロフェッショナル・アーミーの思想が寡兵であっても勝てるとか、特殊部隊こそ重要だというような誤った認識を導きかねないという危機感や、実際過去に何度も2chの軍事板に現れた戦車不用論者のようなのが増えないかと私は戦々恐々するわけである。

あと、徴兵制任期は1年でなければならないということはないと考える。2年の徴兵、4年の予備役、8年の後備役といったようなことは軍事的には十分に考えられるだろう。もちろん、政治的、社会的、経済的には不可能だろうが。

軍隊の虚構

さて、確かに理念としての徴兵制は、そんなものは意味がないと切って捨てられてしまえば意味は無い。しかし、それはやはり私は重要な問題であると考える。それは、軍隊が虚構によって成立しているシステムだからである。

さて、軍隊で兵士は指揮官の命に服し、時に自らの命を失う危険に身をさらす。また心理的なハードルの高い殺人をもやってのける。しかし、その指揮官は年齢が高く、持っている武器小銃ではなく拳銃と、一般の兵士よりも物理的に弱い場合が多い。にも拘らず、兵士は指揮官に従う。

なぜ従うか。それはそこにフィクションがあるからである。軍隊というのは国内最大の暴力組織であり、その気になれば政府首脳を皆殺しにすることも容易である。しかし、自衛隊片山さつき暗殺もしなかったし、大蔵省を占拠もしなかった。

私は、ここに文民統制とそれを担保する市民の力の集合体としての国家とそれの暴力執行機関である軍という一つの壮大な虚構を見る。そもそも、社会契約自体が存在しないものであって、空想の存在である。しかし、それが観念であるがゆえに軍を縛っているということを忘れてはならなし、その意味ではこの議論は重要であると考えるのである。

おわりに

確かに、ここ数十年に渡っては徴兵制の必要は無いだろう。しかし我々が生きているうちにそうではなくなる可能性は十分に考慮に値すると私は考える。ナポレオンに始まったマス・アーミーのムーブメントは150年余りに渡って続いたが、歴史の展開が時代が下るにつれ加速することを勘案すれば、我々の生きているうちにプロフェッショナル・アーミーのムーブメントが終結することも考えられるだろう。もちろん、これに根拠は無いが100年後も今と同様なプロフェッショナル・アーミーが存続していると考えるのも同じように根拠が無い。

その意味では将来的な想定の一つとして徴兵制を含めて、プロフェッショナル・アーミーの終焉を考えておくことは必要であろうし、むしろ我々自身の手で従来の軍隊のやり方を変えるぐらいの気概が必要だろう。

追伸

JSFさんの※欄の人もぜひうちの※欄に書き込んでください。答えられる限りで質問や反論には答えます。

あと、JSFさんのほうにブクマはついてうちにつかないのは悲しいのでブクマしてくれると嬉しい*1

*1ブクマ乞食メソッド

privateshineprivateshine2007/10/21 12:49>第3世代戦車を有し、155mmりゅう弾砲を有するゲリラ戦力
あってもいいとは思いますが、衝力と火力は基本的に集中してこそ効果があると思うのですが。ゲリラ戦力で運用するなら、むしろ地上砲台をあちこちに建設するほうが意味がありそうです。無論、事前に爆撃されるでしょうが。
とりあえず、ゲリラに衝力や火力は期待できず、結局は戦車や砲は持つべきではない。

蜃気楼蜃気楼2007/10/21 16:40>そしてこれは演習でネタにする程度にはリアリティのある話でもある。

 相手が全面戦争を覚悟したのならそんなこともありえるでしょうが。
 ”たった5個MD”を着上陸させる”中規模戦争”ではありえないと考えます。

 ”5個MD”の着上陸はどのような状況で可能となるとお考えですか?

整備兵整備兵2007/10/21 23:43>マス・アーミー
 これはむしろ、フラーの少数精鋭論に対抗したトハチェフスキーの赤軍整備論に似ていますね。ただし、彼はソビエト社会に及ぼす経済的・社会的負担について、あまり考察していたようには思えません。ひょっとしたら、粛清された理由の一つなのかもしれませんが。

 実際、2年や3年の徴兵で、短期間で複雑な分散・集中を繰り返す「分散合撃のゲリラ式統帥法」に馴染んだ兵士が育つとはとても考えられません。もしそんな軍隊を「マス・アーミー」に拡大するとしたら、ハイテク装備を中心として常軌を逸した軍拡を行わなければならず、長期間の徴兵が社会・経済に及ぼす影響と相まって、その負担は甚大なものが考えられます。「ゲリラ式統帥法」を実施できる軍隊は、「プロフェッショナル・アーミー」の極みといえます。

>戦車と火砲をもつゲリラ戦力

つ「兵站」

>予期できない将来における「マス・アーミー」

 まあ、予期できない将来である以上想像しても仕方ないのですが、そこで軍事に関わることを求められるであろう「徴兵?された市民たち」は、敵国の政治的・経済的中枢に対して、物理的な軍事力以外による攻撃をしかけ、政治目的の達成を追及するか、逆に我が政治的・経済的中枢の防護を求められるのではないでしょうか。むしろ、徴兵?された市民たち自身の専門的能力を活かす方向で。

furukatsufurukatsu2008/02/19 20:18>>privateshineさん
いや、むしろ考え方としては敵から致命的な攻撃を避けるために分散をせざるをえないのだから、そこで一定の衝力を持つ戦闘力を臨時に編組していくという方策の方が妥当ではないでしょうか?

>>蜃気楼さん
例えば、台湾騒乱での第二戦線として中国軍が、戦力をシフトしたロシア軍が、また統一朝鮮が経済的困窮をそらすためであったりとか、想像しうる範囲だと思いますよ。

>>整備兵さん
今の日雇い派遣の連中が出来ることが出来ないとは思えません。第二次大戦において自動車操縦が誰でも出来る国と特殊技能であった国がありましたが、そのことを想起すれば十分に達成しうるであろうと考えます。
兵站の問題も同様にドア・トゥ・ドアの輸送システムというのはすでに存在しており、それを行うことは不可能ではないでしょう。
あと、物理的な軍事力以外というのはどういう意味でしょう?

2007-10-15

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承前

JSF氏との以下の一連の議論について。

「笠井潔『国家民営化論』一億総ゲリラ戦理論の大穴」-週刊オブイェクト

軍隊の余裕と、軍隊の文民統制-furukatsuの軍事

軍隊の在るべき姿と現実の選択-週刊オブイェクト

ゲリラ戦について

まず、JSF氏はゲバラの議論からゲリラ戦における問題を指摘しているがこれについて考えたい。

私もゲリラ戦そのものを否定する気はありません。ただ、ゲリラ戦大家チェ・ゲバラ著の「ゲリラ戦争」に置いて、

地元住民の積極的な支持と献身的協力

・逃亡、休養、訓練、再編成などを安全に行う後背地(聖域)

・兵器や物資の安定供給を約束してくれる支援国家

これら三要素がゲリラ戦には必須であり、そしてゲリラ戦だけでは最終的勝利は得られず、最後には正規戦争に発展させる必要があると問いています。「勝利は常に正規軍によってのみ達成され得る」、ゲバラはそう言っているのです。

http://obiekt.seesaa.net/article/60383840.html

確かに、日本の作戦環境においてゲリラ戦のみで後背地を用意したり、支援国家との安全な連絡線を確保することは困難であるし、また、純粋ゲリラ戦では最終的に決定的な勝利を獲得するための戦闘が不可能であることは指摘の通りである。

しかしながら、それはゲリラ戦の考え方そのものを否定するものではないだろう。ゲバラが言ったのは、政府軍や植民地本国軍、あるいは発展途上国に対する先進国軍を相手にする場合において、ゲリラ戦を展開する上でいかにすべきかという部分であって、その背景を捨象しての議論はできない。

確かに現状の日本の作戦環境下で自衛隊を解散し民兵組織によるゲリラ戦を展開するのは無理無茶無謀である。しかしながら、例えば退職した自衛官消防団のような組織を中心としてゲリラ的な戦闘を展開しうるような組織を作ることは十分に考えられうるし議論の余地のある考えになるだろう。また、いわゆる正規軍にあっても従来の近代型の官僚組織による軍隊ではなく、分散したゲリラ的な統帥法というのも十分に検討しうるであろう。

RMA*1についての議論から考えても、官僚組織型のトップダウンによる統制は電信、電話による指揮に適合的なのであって*2、現代のコンピュータデジタルネットワークにおいてはむしろゲリラ的な統帥法が適合的な場合も考えられるのである*3

その意味で、JSF氏の議論が一面的過ぎ、そういった考慮の余地を奪っていっているのではないかと私は異論を唱えたわけである。

マス・アーミーかプロフェッショナル・アーミーか

まず、確かに多くの先進国徴兵制をやめる、ないし縮小していることは指摘の通りである。しかし、それを以って否定する理由の補強とはなっても、洗練されたプロフェッショナル・アーミーが薄弱であるという指摘に対する反論とはならないだろう。プロフェッショナル・アーミーが数の厚みを超えてなお薄弱でないという議論を示してほしい。

さて、その上で多くの先進国徴兵制をやめている理由について考えたい。まず、西ヨーロッパ諸国については冷戦終結後という部分があるだろう。いわゆるヨーロッパ冷戦終結によって平和の配当というものを受けた。これらによって軍事費の大幅圧縮、兵員の圧縮を可能とし、結果的に徴兵制を実施する理由の大きな部分を無くしたわけである。これはJSF氏も以下の通り指摘している。

軍縮についてだが、ドイツは東西冷戦の終結により自国が最前線である悲劇から解放された。東欧諸国のNATO加盟により最前線ポーランドバルト三国ロシア国境まで伸びたわけだ。つまり東西ドイツ国境から700km近く東に移動した事になる。そしてこれはドイツが700kmの戦略的縦深陣地を確保したという事に等しい。NATOの盾であったドイツは、ようやく自らの盾を手に入れた。彼らには平和の配当を受け取る権利がある。

対外派兵に付いては、EU(ヨーロッパ連合)の盟主として責任を果す必要があるからだろう。それは国際的地位、発言権の向上と共にイギリスフランスとの結び付きが強くなる効果がある。ドイツ原子力発電所を廃止したが、それはフランス原発から電気を買えるから問題が無い。石油イギリス北海油田から買えば良い。核兵器に対抗するには、フランスイギリスに頼れば良い。代償としてドイツEU経済力で支えてやらねばならない。

そしてドイツは積極的に派兵へと乗り出すことにした。EUの、ドイツの、既得権益を守る為に」

http://obiekt.hp.infoseek.co.jp/peacemaker/draft_2.html

しかし極東ではどうか。これについては冷戦終結による平和の配当は未だ受け取られていないだろう。むしろ地域大国となった中国膨張主義的な政策や窮地へと追い込まれつつある北朝鮮の核開発、SCOというあらたな軍事同盟の締結、ヨーロッパ正面に兵力を張り付けずに済むようになったロシアとかえって冷戦期よりも状況は混迷している。

であるからこそ、韓国徴兵をやめられないだろうし、わが国は日米同盟の強化に余念がないわけである。その意味ではドイツでの議論をそのまま適用するには無理があるだろう。我々は平和の配当を受け取っていないのだ。

また、JSF氏は大量破壊兵器ハイテク兵器の存在によって徴兵制が必要なくなった*4と論じているがこれについても議論の余地があるだろう。

まず、大量破壊兵器であるが、冷戦終結によって核兵器の投げ合いという事態は当面去ったように考えられる。中国にせよロシアにせよ、自らの生存が脅かされれば核兵器を用いることは十分に考えられるが、少なくとも日本中国ロシアに侵攻をし彼らの生存を窮地に追い込むなどということはまず考えられない。考えられるのは北朝鮮核兵器であるが、これについては数が少ない上に状況も不明であるので考慮の外に置く。

その上で日本に対する脅威という意味で考えると、彼らにとっての中規模な戦争が我々にとっての全面戦争となる可能性は十分にある。例えば、5コMD程度の着上陸を考えた場合*5、これは中国ロシア、ないし将来の統一朝鮮にとって決して国の全精力をかけた戦いとはならない。我々にとっては5コMDもの数だが、彼らにとってはたった5コMDとなることは十分に考えられる。つまり、我々にとっての全面戦争というのは十分に想像の範疇にある。我々の関わる戦争がすべて島嶼や一部地域のみを狙った限定戦争であれば何と楽なことかと思うが、そんなに世の中は甘くないだろう。

ではハイテク兵器についてはどうか。これについては確かにハイテク兵器の運用について徴兵ではやや困難があるという部分は否定しない。しかしながら考えてみれば分かるが現在陸上自衛隊任期制隊員は2年任期であり、概ね2任期勤めることから、4年の期間しか自衛隊に勤務していない。にもかかわらず、彼らは高度なミサイルの操作についてそれなりに習熟しているし、複雑な後方支援業務をそれなりにこなしている。これは日本教育の程度が全体的に高く、文盲が存在せず*6、熟練にあまり時間を要しないという部分があるからだろう。複雑怪奇携帯電話を使いこなしテレビゲームに慣れ親しんだ若い隊員にとってミサイルの操作は決して困難な事業ではない。

さらに言えば、陸上戦では今だにハイテク化という意味ではそれが及ばない範疇が多い。確かに、誘導弾の発達は目覚ましいし、高度な情報システムも整備されつつある。しかしながら、どんなに精巧な誘導砲弾であってもタコツボに入ればやり過ごせるし、米軍といえど空からは森林にバラキュー張って隠した戦車を見つけられない*7。陸上戦はそれが陸上で展開されるためにローテクが今だに効果を持っているという点を無視することは出来ないだろう。

確かに、少数精鋭化というのは一定理にかなった部分もあるのだが、しかしそれは全てではないし、それによって防衛力が薄弱になるのは問題である。昨今の削減と軽くて速くて弱い戦力への陸上部隊の転換は本格的な着上陸に対して容赦なく粉砕される危険性を孕んでいることを多くの人は忘却のかなたへ追いやっている。まかり間違ってロシア中国新潟正面に着上陸をした場合、旅団化され空中機動能力付与のために重い兵器を失った12Bはあっけなく粉砕されるかもしれない。5Bになってしまった道東においても同様である。

確かに予算厳しい折であるし、軽くて速くて弱くて安い戦力に転換するのはやむを得ないかもしれない。しかしながら、それが軍事学上の当然の帰結と判断するのはいささか一面的に過ぎるだろう。空中機動部隊は機甲部隊と殴り合うには向いていないし、特殊部隊ではゲリコマ相手に逃げられてしまう。このように様々に考慮をすれば軽くて早い部隊という今の流行を追う危険性を認識できるだろう。

文民統制徴兵制

確かに、主体的文民統制の文脈での考えは今時そんなの心配ないという考えも出来るだろうが、我々はつい60年ほど前まで軍部による独裁の状況下*8にあったことを忘れてはならない。不幸にも日本人の多くは軍事に対して無知であり、軍をコントロールするということに対して比較的無頓着である。文民統制伝統も軍の客観性伝統も無い*9最近でも、いわゆる佐藤発言が行われた際に大きな声が起こることはなかった。ここからは、文民の命令*10というものが内面化されていないことが読み取れる。これはノードリンガーの指摘する「自由主義モデル」が成立していないという風に評価されるだろう。このような状況で到底安心は出来ないし、その意味では文民統制の基礎の一つとなる市民軍の問題について考える必要性はあるだろう。

ここで、市民軍と文民統制関係について考えると、軍の団体性が問題になるだろう。ハンチントンが軍のプロフェッショナル化による客体的文民統制を評価したのに対して、パールマターはこれがプリートリアニズムに陥り団体性のために政治介入に至るということを論じた。パールマターは一つの理想として団体性を持たない革命的兵士という概念を提唱したが、これは社会から隔絶された団体性とは正反対に社会と共にある軍人という形態を示したものであり、その意味重要な示唆であると考える。

さて、話はやや変わるが近代国家の成立というのはどのような契機とともにあったかを考えてみたい。日本を含めて多くの近代国家の基本をなしている理論は何かといえば、それは社会契約説である。もちろん、現代の政治思想では「実際に存在しない」社会契約についての批判はあるものの、とりあえずは多くの人に受け入れられ、憲法上もその理念が強く出ている社会契約説を基礎と考えるのは大きく外れてはいないと考える。

社会契約というのは強制力(暴力)を共同体政府に対して預けるところから始まっている。ホッブズロックルソー、それぞれやや考えは違うが、人々が契約を結び強制力を預けているという点では基本的には同様である。

その意味では市民軍というのは当然の帰結である。つまり、人々がその実力を預ける端的な方法は一人一人が兵員となり強制力を担保するという方法であるという意味である。市民軍というのはそれが現実的に可能か、ないし効率的かという以前の問題として、近代国家がその構成員の実力の集合体であり、暴力の合法的な独占を要求する集団*11であるために当然の帰結なのである。この部分を無視してのプロフェッショナル・アーミーかマス・アーミーかという議論は片手落ちではないかと私は考える。今の日本徴兵制ではないが、我々は税金自衛隊を養い、その力の行使について選挙を通じてコントロールをかけている。この事実は注目に値するし、そうであるが故に我々はプロフェッショナル・アーミーを選択するにしても、その背景にある単純な現状追認以上の主権者としての積極的な決心を認識しなければならないだろう。私はこの自らの責任認識することが文民統制の一歩であると考えるし、その考えは市民軍を基礎としなければ出てこないものであると考えるのである。

終りに

純粋軍事的には徴兵制は望ましい。なぜならば、社会の中でより大きいリソースを軍事に裂くことが出来るからである。同等の力の徴兵制を敷く国家と志願制の軍隊を持つ国家が対峙し戦争をした場合、恐らく徴兵制の軍を持つ国家が勝利するだろう。しかしながら、現状を鑑みれば徴兵制は実質的に不可能である。

結局、それは社会的、経済的な事情である。つまり、徴兵制を行うことは労働者*12を数年に渡って拘束するし、また防衛力という観点から見た場合、絶対的には強いが、単位兵力当たりの戦闘力でプロフェッショナル・アーミーに劣る以上、非効率のそしりは免れえない。

しかしながら、市民軍の理念は近代国家にとって非常に重要な価値を持つし、市民軍やゲリラ戦思想は軍事的にもこれからの将来にわたって大きな影響を与えることだろう。

なお、私はこれから数十年に渡って徴兵制現実性が無いと考えるが、数百年後は神ならざる身にとって予想出来る話ではない。約200年前のヨーロッパではプロフェッショナル・アーミーが破れマス・アーミーの時代が到来したのだから。

*1:単なるC4ISRの延長線上としての敵味方のことが良くわかって、弾がよくあたるという話以上のそれ

*2:であるからこそ、電信と鉄道を取り入れこれに適合した訓令式統帥法を考えたモルトケは偉大なのである

*3RMAスレがなつかしですね、はい。

*4http://obiekt.hp.infoseek.co.jp/peacemaker/draft_3.html

*5:YS37の想定のような

*6:昔の自衛隊はけっこう居たらしいが…

*7:コソヴォでの事例を見よ。

*8統帥権独立は文民統制の対極に位置するだろう。

*9:翻ってみれば、市民軍を考えることは伝統を作り上げる行為と言い換えられるかもしれない。

*10法律を含む

*11ウェーバー先生

*12:それが学生であっても就業年数が短くなるという意味では同等である。

整備兵整備兵2007/10/16 01:22>分散したゲリラ式の統帥法
 これの具体案が出てこない限り、結局ゲリラ戦は「最後には正規軍の重戦力」を待たないといけない、という事実に変わりは生じないと思われ。
 「デジタルネットワークによる組織」は、それを可能にする通信インフラが生きている、という前提が必要なので、一般化は難しいでしょう。近いものとしてはアルカイダやイラクにおける外国人武装勢力のような「ゆるやかなネットワーク」があるものの、それが結局「国家という権力構造」を作りえず、また支え得ないことはお分かりかと。

>軽くて速くて弱い陸上戦力
 職業軍だからといって、必ずしもこの方向しかないとは限らない。米地上軍のように「職業軍による十分重い戦力」もありうるので、この見方もまた一面的では?

>軍のコントロール
 政治が軍をコントロールする必要と、その意識が日本人の間に希薄なのは同意。しかしモルトケと訓令式統帥を持ち上げる以上、その当然な帰結である「命令にない事項でも、指揮官(または政治家)の意図を体して実施」することを認めなければならないことは理解していますか?

無名無名2007/10/16 10:09明らかにイスラムゲリラの多くは土着性に依存した「伝令」によるネットワークでしょう。
だからこそ、通信妨害に強いわけですし。

まともな国では(軍事予算が会計を圧迫しないことが前提の。)「重い軍隊」を常備するのは厳しいかと・・・。
経済的に革命的な理論があれば別でしょうが。

整備兵整備兵2007/10/17 00:26>土着性に依存したネットワーク
 だから、現在のイラクのように小規模勢力の内輪もめに終始するわけです。そんな勢力が「国家という権力構造」に至りようがないことはお分かりでしょう。

>まともな国
 「まともな国」の定義とはどんなものでしょうか。米国は「まともな国」じゃないんですね。

無名無名2007/10/17 14:19どの段階で軍事費が財政を圧迫しているかというのは、難しいでしょうが米国は明らかに財政を通り越し社会を圧迫していると思われます。(本来土着性の強い州軍を動員しすぎでしょう。 日本も在郷軍人で類似した道を歩きましたが。)
米国がまともかどうかは別として「特殊な」国であることはご理解いただけるかと。
先進国であるにもかかわらず、人口が増大しつづけ、かつ受け入れるだけの国土を保有している。(移民を何だかんだ言いながら受け入れられるということを含みます。)

ちなみに、多くの「革命」は土着性に依存しているかと?。
概ね、革命の「同志」は郷土が同じもしくは近隣が多数かと思います。

furukatsufurukatsu2007/10/18 17:40>整備兵さん
統帥の問題については、確かに、ご指摘の部分は理解しています。
ただ、可能性として従来型の統帥法ではない方法論が可能になりつつあるし、またそれを検討しなければならない段階にあるというのは言えるかと思います。今、鋭意論文を書いてますので、そのうちまとめようと思っています。
軽くて早い問題は、確かにアメリカは重戦力を保有していますが、それでも厚みという部分では可能最大限の効率化を図っているという部分は否定できないかと思います。私の言い方がその意味では一面的過ぎた感がありますが、プロフェッショナル・アーミーの方が効率的な反面薄いというのは恐らく一般的事実と認められると思います。
訓令式統帥法については、あくまでそれが鉄道と電信の時代において適合的な統帥法であったという点に注目しているのであって、それがシビリアン・コントロールに問題無いとは全く考えていません。その点はパールマターの考えに近いような形で理解しています。

整備兵整備兵2007/10/19 00:06>財政を通り越し社会を圧迫
 これは、軍事費云々よりも「現在進行形で戦争を行っている」ためかと。
 冷戦期にはもっと重い編成をとっていましたよね。「特別な国」なのは確かですが。
 つまり、軍制は各国それぞれの国内的・国際的要因により様々なので、安易な一般化には注意が必要だ、ということです。下でfurukatsu氏も認めている通りです。

>土着性に依存した革命
 コアグループが「地縁・血縁」でまとまるのは、グループ自体の団結を強めるのには役に立ちますが、全国区に影響を及ぼすためにはそのグループが力でのし上がっていくか、何らかの普遍的価値に訴えて地縁に縛られない同志を募る必要があります。さもなければ、ヴァンデー反乱のように「一地方の反乱」で終わるか、今のイラクのように土着勢力や外来勢力の群雄割拠になってしまうでしょう。

>訓令式統帥と文民統制
 furukatsu氏は、上級司令部への不服従の可能性が残ることから、隷下部隊の自主裁量の余地を制限したいとしているわけですね?したがって「問題ないとは考えていない」と、比較的ネガティブな表現になのでしょう。私はむしろ、将来の統帥方は、訓令式統帥がさらに深化した形に変貌を遂げると考えていますが、その辺りは論文を期待させていただきます。

2007-01-11

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有名な週間オブイェクト徴兵制についての理解はここまで広まりましたエントリに見られるように、いわゆる世の中の軍事マニア、軍事オタクと言われる人々は徴兵制について否定的な見解を持つ。そして、彼らはその主たる理由として、現に西側諸国では兵力削減、少数精鋭化を進めており、かつハイテク兵器を活用する現代戦においては、徴兵制によるマス・アーミーは適合的ではなく、練度の高いプロフェッショナル・アーミーが望ましいと言うのである。

確かに、多くの西側諸国は兵力削減をしているし、また、軽くて強くて速い戦力―空中機動化やC4ISR化された戦力―を速やかに投入して、敵の後方域、指揮所等の弱点を打撃し速やかに勝利を得るという方式は正しいように思える。しかし、それでは勝てない戦争というのも存在する。

このような敵の弱点への打撃を中心とする理論リデル・ハートに大きな源流を持つ。リデル・ハート第一次世界大戦における凄惨な消耗戦の原因をナポレオン以降の近代作戦理論クラウゼヴィッツ理論化した理論に求めた*1。決戦による敵戦闘力の撃滅を基調とした作戦が近代工業力に支えられた場合、大消耗戦に陥ったということを批判したのである。ここで、リデル・ハートは間接アプローチ戦略という概念を提唱し、敵の弱点に対する打撃を推奨したのであるが、しかしこの考えも決戦・大量集中戦略と同様に、ある特定の場合にのみ適合する概念ではないのだろうか?

ナポレオン以降の軍人ナポレオンの真髄を敵主力との決戦、仮借なき追撃に現れる決戦・大量集中戦略と解釈し、これこそ勝利の方程式であると誤解した。しかし、ナポレオンロシアスペインで敗北したのであり、つまりこの決戦・大量集中戦略というのは19世紀初頭のヨーロッパ中部で適合的だったにすぎないと考えられはしないだろうか。

間接アプローチ戦略も同様である。また、現代の軽くて強くて速い軍による戦争もそうである。現代の軽くて強くて速い軍による戦争のドクトリンというのは、元来核抑止下における限定戦争を意識したものであり、対ゲリラ戦や全面戦争のドクトリンではない。だからこそ、アメリカイラクで大出血を見ているのではないだろうか。

そう見れば、この週間オブイェクトJSF氏の議論というのは一面的に過ぎるように私は考えられるのである。

*1:しかしながら、本来批判されるべきはクラウゼヴィッツそのものよりも、彼を誤読した後継者であろう。

無名無名2007/01/13 11:24徴兵制の問題は、教育と不可分と思われます。
義務教育の代替としての徴兵制もありますし大学、大学院に奨学金を出し中流階層以下の高学歴者の多くがが経済的理由により、実質上、徴兵類似のシステムに組み込まれる例もあります。
しかし、どちらの方法でも共通しているのは、必要な人員を一気に動員でき、限定的な作戦も、総力戦も行える、ある意味自由度の高いシステムといえます。

無名無名2007/01/13 11:32イラクにおけるアメリカの誤謬は、宗教や歴史に対するものを除けば(もっとも、そこの部分を誤っている以上、始めから成功は望めないでしょう。)人命のインフレに気が付かなかったことでしょう。
今日の先進国においては、公傷による障害者や労災遺族に対しては極めて高額の年金、弔慰金が求められます。(その点日本はいくらでも戦死者を出せるような気もします。)
また、多額の奨学金により拘束している専門家を失うことは、更なる教育費の増大を招き軍事費として計上されない出費を強いられます。

無名無名2007/01/13 12:33最近の西側諸国の考え方は、社会が軍事費に耐えられなくなっているので、軽量化しようという、マイナスの考え方と思います。
しかし、現実として、軍事費を抑制しながら、ある程度の戦闘力を維持するとなると、軍そのものを軽量化するしか道はないでしょう。
貴殿の言うように、軽量化された軍には打撃力はあっても、継戦能力は乏しくなる(大日本帝国海軍やドイツ陸軍のような軍でしょう。)ため、普通の神経の持ち主が有権者、政治家となれば極端に戦争を忌避するはずです。(現実は異なるようですが。)

なしななしな2007/01/13 16:04徴兵制って言うと打撃力だの継戦能力だのを考慮したくなるので訳がわからなくなるかもしれないが、徴兵制否定の根は軍事以外の全業種にも通じる以下の単純な話につきる。
「素人は役に立たない」
小難しく言えば「未経験者による作業は効率が悪い」ということ。

イラクの話で言うと、テロリスト相手の非対称戦争には非対称戦のプロが必要なのだが、徴兵制を敷いたらそのプロを育成する手助けになるか?ならない。
プロの育成にはそういう訓練課程の新設が必要なのであって、徴兵とは無関係。

前提となる解決すべき問題の設定が違うんじゃないのと思われる。

無名無名2007/01/14 12:42自衛隊や軍にいた人間ならすぐにわかることですが、実を言うと内地における業務の多くは民間とは比較にならないほどの単純かつ、簡単なものです。
毎日行われる警衛を例にすると、特殊な技能が必要なのは、交代と起床、国歌、就寝などに吹かれるラッパ手ぐらいです。
これらの人間を、安価な人間で済ませることができれば良いと考えることは、ある意味マトモといえるかもしれません。
実際、国内の米軍基地の多くは、憲兵隊による警備ではなく、基地内か米国において最低限の訓練を受けた日本人ガードマンが行っています。
これらの、日本人の人件費は日本政府の支出であり、米軍はその分の人員を前線に振り向けることができると言えます。

無名無名2007/01/14 12:53当然、在日米軍は特殊な例ですが、さしたる、技能を必要としない兵士、下士官、将校などに人件費を払うことと、徴兵により、短期間強制ボランティアをさせることと、可能な限り民間に委託することを比べると、どれが一番、安価かというと、恐らく、ボランティアでしょう。(一年兵役のように比較的高い階級と引き換えに、すべてを自弁させれば、なお、安価となります。)
しかし、本人が望まない、強制ボランティアが人権上どうかという点や、徴兵をされている間の購買力低下による経済的損失などを考慮すると、どうなるか等は解りません。
個人的には、徴兵制には反対ですが。

furukatsufurukatsu2007/01/17 18:38>>無名さん
その通りだと思います。徴兵制度は純軍事的な理由で否定されているのではなく、経済、社会的な事情、つまり無名さんのおっしゃられる通り「人命のインフレ」の為にあると言えると思います。

>>なしなさん
さて、民間企業はなぜ役に立たない素人をさけるのでしょうか?
つまり、それは生産性が悪いゆえに給与に比して生産性が上げられないからです。また、現代の民間企業は素人に毛が生えた程度のアルバイトを大量に雇用しています。それほど熟練をようさない仕事についてはアウトソースなりなんなりをするというのは民間では当たり前でしょう。
あと、非正規戦は数ですよ(笑) 特殊部隊でゲリラ退治をするのは、無茶です。

>>fuku33さん
こちらこそ、非常に参考になる話しでした。
R&Dはコンセプチュアライズ、言語化といった考えは非常に興味深かったです。あと、中小企業における作為の契機についても。

通りすがり通りすがり2007/01/18 07:55そもそも日本は攻めてくるのは返り討ち、って考えだからこそ徴兵イラネ、なんですけどねぇ。そのため大事なのは海と空であってこれは完全な技術職だから徴兵なんぞでは毛筋も賄えない。

furukatsufurukatsu2007/01/19 01:04>>通りすがりさん
海と空で阻止できたら誰も苦労しませんね。
スタンドオフ攻撃やゲリコマでの空港、港湾の破壊とか、考えられません?

その考えが正しいならヨム・キップルでイスラエルはパーレブ・ラインを守りきったでしょうねー。

通りすがり2通りすがり22007/01/19 03:03よく混同する人がいますけど、国内(周辺)で外敵と戦うのと、国外に派兵するのでは全然話が違います。どちらを想定しているのか明記して議論した方がいいかと。
外国に出すのであれば訓練をつんだ職業軍人じゃないと無理です。
日本が海外に自衛隊を出すようになっても徴兵制が復活するということはありませんね。出すといっても多くて数千人ですし。
国防という面では徴兵制は考える価値はあります。
社会的・経済的コストとメリットを考えたら防衛予算増やす方がいいと思いますけどね。

>>furukastuさん
頭数が必要といっても普通のゲリラなら最大数万人というレベルでしかありません。
ヒズボラみたいな準国家クラスの規模と装備の組織を相手にするのであれば話は別ですが、とりあえず該当しそうなのは北朝鮮ぐらいしかいません。
北朝鮮にしても主目的はあくまで韓国であり、日本に大量の人材・物資を投入することは考えにくいでしょう。

私の考えでは、徴兵制をしいてまで人手を集めることは必要ないかと。
現状であれば予備役制度の充実で十分足りるのではないでしょうか。
特に民間の企業や国民の理解なんですけど、難しいですね。

furukatsufurukatsu2007/01/20 03:57>>通りすがり2さん
一般論として、個別具体的な状況を普遍とするのは、どうかな、って話だけですよー そして、現在の社会的・経済的な文脈を考えれば、おっしゃるとおり、予算の拡充ですみますし、現在の日本で徴兵は割に合わないでしょう。

無名無名2007/01/20 17:33先にも記しましたが、個人的には徴兵制には反対です。
また、小生が専門としている、戦前期日本においても、昭和十年代までは、くじ引きによる徴兵が行われており、国民皆兵とはかけ離れたものでした。(当選確率は、様々な説がありますが、ある程度、志願兵もいるため、小生が調べた多摩地域では三十分の一前後だった時期が長いです。)

無名無名2007/01/20 17:46少し話がズレますが、戦前期日本の地域内における重要な集団として、在郷軍人会と青年団(会)があります。
在郷軍人会は、名前の通り、徴兵なり志願なり(軍属も含む場合があります。)で軍隊に在籍していた予備役、後備役の人間が入会している組織です。(ただし、かなりの例外も見られ、地元の名士で、ある程度の学歴を保有している人間が、軍隊経験がないのにもかかわらず、村や郡の分会長をしている例があります。)
青年団は小学校卒業後から、徴兵検査までの間を埋めるための組織とされ、(発足の当初は、概ね、文学や武道の同好会、小学校の同窓会です。また、現実として、三十歳過ぎのメンバーがいる場合もあり複雑です。)徴兵検査の際の体格検査の成績、性病の撲滅、入営後の筆記試験の成績向上を目的としていました。(陸軍と内務省、文部省の考えでは。)

無名無名2007/01/20 17:58本来、同好会の類(驚くべきことに、在郷軍人会ですら、一種の武道サークル、文学サークルでした。)である、青年団(会)や在郷軍人会を国家に取り込む切っ掛けとなったのは、日露戦争時に自然発生した、草鞋の献納運動です。
また、関東大震災時には、関東周辺の青年会、在郷軍人会が人手と食料を持ち寄り救護活動をおこなっています。
これらの経緯から、二次大戦中には、警防団に改組され、今日で言う消防団活動が本来任務となりました。
歴史的に、鑑みると、少なくとも日本では、よほどに戦争が激化した時期を除き、極一部の志願兵、籤運の悪い人以外は、緊急時の徴兵ソース、平時、戦時の支援要員と考えられていました。

無名無名2007/01/20 18:06逆にいえば、通常、軍隊における兵員より、それを支える人間たちのほうが人手を要するということが、戦前においても、薄らぼんやりとは理解されていたようです。
まして、今日の機械化、装甲化された軍隊、人権の強い娑婆では、金銭で、行うかボランティアとなるかは別として、戦時、災害時における、人手は(単純な作業員も、ある程度の技術者も)より必要とされると思います。